何処でも食える男<何処でも食える男>■以前凡は大手ハウスメーカーの設計部にいました。 建築家の弟子>大工見習い>材木屋のトラック運転手>プレゼンテーション会社 と建築業界のあちこちを渡り歩いて中途採用で入社した時は30歳でした。 ■なぜハウスメーカーに?スーツ着てんの?アイツが会社でうまくやってけるの? と、友人達には散々なこと言われましたが(^^ゞ 凡としては20代に経験したことの総まとめという気持ちでした。 バラバラになっていた自分の引出しを整理整頓して自分のできることはなにか? 自分の武器は何で、自分にしか出来ないことは何か?を見つけるために大きな組織で働いてみようと思ったのです。 ■30歳。これを逃すと組織に入るのは条件的に厳しくなってしまうし、一生のうち 一度くらいはネクタイを締めてもいいんじゃないか?ボーナスの喜びというのも経験してみたかったし。こんな上等な動機でした。 ■凡には具体的な夢はありませんでした。ただひとついつも心にあったのは”世界中のどこへ行っても食える男になりたい”ということでした。 ■そのためにはまず、健康な身体。暇を見つけては水泳やジョギングなどしています。また、通勤も自転車を愛用としています。 次に語学。20代に7、8ヶ国は旅していました。一人でバックパック背負って 月単位で歩いたおかげで日常会話には困らなくなりました。 そして収入源。大学に行っていないので選べる道は「手に職」でした。 しかも、建築なら日本中なら何処でも食えると考えたのです。なんでもやったし、 何処にでも行きました。家の作り方が知りたくて大工見習い、木材を知りたくて材木屋、魅せるための方法としての模型作りなどなど。 ■20代はまったく手当たり次第。方向性なし。人生設計まるでなし。興味のあることしかやらないムチャクチャ人間として過ごしてきました。おかげでこの年になってもマンションも車も社会的地位も年金もありません。(爆) あるのは30人の応援してくれる友人達と掃除していないままの沢山の引き出し。 ■凡にとって大手企業作戦は大成功でした。忙しかったけど。 まず、自分の住宅論とデザインを毎週毎週最低5、6人に見せることが出来たこと。これは設計事務所では有り得ないことです。もちろん全部が受け入れられたわけではないけれど、おかげでお客様の求めているものが手にとるように解るようになりました。 ■凡は決して口がうまいほうではありません。我も強いし、ぶっきらぼうなところもあります。常に本音を語ってしまうので衝突が多いんですね。最初は悩みました。 「デザインも絵もいいんだけど客には会わせられない。」 と営業マンに言われる始末です。どうしたらいい? ■ある日、本を読みました。エンデの「モモ」という物語です。時間泥棒と戦う女の子の話ですが、この女の子がもっている唯一の武器が「人の話を聞く」でした。これならできる! 自分の言いたいことばっかり押し付けているから衝突するのです。自分の考えだけが正論じゃない。ここは一旦引いて相手を取り込んでから言う。これはできるんじゃない?これは武器になるんじゃない? ■それからは黙りました。(^^ゞ 相手が伝えたいことは何か?まずそこから始めました。すると見えてくるのです。頭に間取りや空間の雰囲気が浮かんでくる。 そしてまた試してみる。絵を描いて2回見せればある程度欲しい線に近くなってくるのです。毎週毎週チャンスがあるのだから恵まれてました。 「人の話を聞く」いつしか強力な武器となっていました。 世界中どこへ行っても使える武器を手に入れたのです。 そろそろ食えるかもしれません。どこへ行っても。 |